Vol.kinen1(2008.7.22号)
『写真で振り返る久留米商業』と題して、5週間にわたって特別号を発信いたします☆

●記念第1号 〜校舎の移り変わり〜

T 久留米商業高校の校舎
第1代校舎 久留米簡易商業学校スタート

1896年(明治29年5月7日)

・福岡県において最初の商業学校として設立された。

・当時、生徒総数51名仮校舎で開校し30日には、再び
 仮校舎として篠山町南筑私学校跡へ移転した。



第1代校舎 久留米市内荘島町の集会堂


第2代校舎
    篠山町南筑私学校跡
第2代校舎

1896年(明治29年6月1日)

・本校舎予定の篠山町収税署の移転が遅延したことや荘島町の
 集会堂では、校務困難な状態であったため、仮校舎からさらに
 仮校舎へと移転された。

この校舎にて初代信夫淳平校長就任


第3代校舎(本校舎)

1896年(明治29年9月5日)

・本校舎移転後、開校式を行う

・翌明治30年11月に「久留米商業学校」と校名を改称し、
 修業年限4年の中学程度の商業学校とした。


第3代校舎  篠山町税務署跡


第4校舎 荘島町未決監跡
第4代校舎

1898年(明治31年11月25日)

・生徒数増に伴い荘島町未決監跡へ移転。
・翌明治32年2月に南筑武術館において柔道はじめの
 式が行われており、柔道部創設となる。
・同明治32年に第1回の卒業式が行われ、卒業試験に
 合格した15名中7名が卒業を迎える。
・また、明治29年に赴任した信夫淳平校長は、当時の
 流行であった野球を生徒に紹介。
明治33年正式に部員を募集したところ143名集まった
といわれる。


第5代校舎

・当時の三井郡櫛原村大字今寺(現在の櫛原中学校の
 校地)へ移転

・当時の生徒数は250名程度

・第6回卒業式の写真には制服袖に白線が見られこの
 ころから現在に至るまで、久留米商業の男子の制服
 の袖には、白線がある。


第5代校舎 三井郡櫛原町


第5校舎(正門前での写真)

正門前での集合写 真袖には白線が見られる


・櫛原校舎の地は「緑の高台」とか「中尾ケ丘」と呼ばれ、
 グランドには雑草が生えていて、隣の林田家の庭には
 巨大な樟の木があった。
・学校はその南側にあったため、「樟南校」とも言われ、楠
 の大樹は久商のシンボル的存在であった。

「樟南(SHONAN)」の文字は、この頃からよく使われている。
・この樟の木は、戦時中の昭和16年11月に切られ多くの
 生徒や卒業生を残念がらせた。


・第二次世界大戦後期、昭和19年4月1日より工業学校へ転換。校名を「久留米工業学校」に改称。
 戦後、昭和21年4月1日に「久留米商業学校」へ復帰する。
・昭和23年、学制改革に校目を現「久留米商業高等学校」と改称。

第6代校舎
1949年(昭和24年7月5日)
・久留米市諏訪野町へ移転。
・昭和25年男女共学制実施

1951年(昭和26年6月23日)
校舎全焼。学校文書・図書全てを焼失
翌昭和27年8月30日木造校舎落成。
移転準備のため、9月1日の始業式は行われなかった。9月8日より授業開始。




校舎焼失時の様子

校舎焼失後建てられた木造校舎


昭和27年に行われた木造校舎の落成式

昭和34年には鉄筋3階建ての本校舎が完成

第7代校舎 現校舎
1972年(昭和47年7月5日)
・久留米市南町(福教大旧久留米分校跡地)


U久留米商業高校の校章
 初代校章は翼の付いた杖に双頭の蛇(マーキュリー)が絡みつく姿を
示したものでした。

 これは、古代ギリシャにおける「商売の神」を表したもので、当時商業
を学ぶ高校や大学において数多く採用されていました。

ご存知の方も多いと思われる現校章です。
この校章は下記のような意味を持ちます。

『錨』 港・海外貿易を表現するとともに、S字に配置された
    鎖が学校(school)を表しています
『桜』 日本において桜は学校の象徴とされています
『C』 商業(commercial)を表しています

 第2次世界大戦の後期には、工業の推進を目指し、一時は久留米工業高校に
変更されました。(昭和19年〜昭和21年)

 戦時中ということもあり、S字の鎖も見えません。